なぜ、自分はあいみょんに惹かれるのか?

20190210 9

なかなか投稿ペースが間延びしてきた。仕事で調べるものが多かったり、会社で受験できるTOEIC(IPテスト)向けに勉強し始めたり(1~2週間前からありもの教材で復習)で疲れてしまっている感がある。

そして昨日、ディープラーニングG検定(←初受験予定)にも申し込んだので、今週TOEICが終わった後は今度はそっちに注力、といった忙しい時期になってきた。

コツコツ無理せずにこなしていきたい。ライブが近いので!

 

テーマについて

めざましどようびあいみょんが出演するというので、いつ出るか分からずとりあえず録画してチェックした。

 

いい😏

 

やっぱりカッコよさがあるんだよな。カワカッコいいというか新しさが。番組のテーマソングになっているアルバム収録の新曲も歌ってくれてよかった。

生歌を聞いたアナウンサーも

「やっぱり生歌は違う!お腹から声が出ていてすごく良かった!」、

何てことを述べていたし、テレビでは相当本来の魅力が削ぎ落とされてしまっていると思うので、武道館ライブで生歌を聴くのが楽しみで仕方ない(>_<)

 

急に真面目な話。

歌をテレビ越しで聴いていて感じたのは、

 

「声で伝える」は、自分の身体内の細胞を越えた超遠距離型コミュニケーションツール、

前回挙げた心臓からの電磁波云々は、近距離型コミュニケーションツール、(残念ながらテレビ越しでは伝わらない)

 

として機能しているように思えてきた。

そしてそれは、人類が生存していく上で、自分の仲間を増やしてコミュニティを形成することで、より困難な自然環境などに自他が協力して適応していくことに非常に有利に働き、人類繁栄の手段になってきたのではないか、

なんて風に思えてきた。確かネアンデルタール人とは違って、我々ホモサピエンスは、コミュニティを作ることが特長で、獲物を効率良く獲得したり、不足した食べ物のやり取りなど協同活動を通して、過酷な自然環境を乗り越えて存続し続けてきた話をテレビで見たことがある。なので、音楽というのは、本質的にはそういった人類の存続の手段の1つであった気がしてならない。

 

うーん、話が壮大になってきたので、一旦寝かせて冷静に考えを整理していきたいと思う。

 

小話

名著「嫌われる勇気」に出てくる共同体感覚という言葉がある。その考えを持つことが、人が幸福感を持っていられる条件の1つであると述べられているのだと理解しているが、この争いを生まない考え方をすることで幸福感を保てるとするならば、人が幸せであろうとすることとコミュニティを壊さない(争いを生まない)ことは、同じベクトルにあると思えて、コミュニティを保つ(=人類繁栄)ために有効に働いていると思えた。

 

うーん、深い。